宮崎県延岡市の西階運動公園を散歩していた青年が、トイレ近くの ..
ただ、脱走したコブラは恐らく人から離れた場所を見つけて潜んでいるはずだとコーウィン氏は予想、「誰かがこのヘビに噛まれる確率は極めて低い」と話している。
Living, Loving, Thinking, Again
行方不明になっているのは西アフリカに生息するコブラの仲間で体長約1.8メートル。警察の4日の発表によると、3日午後5時ごろ、ケージから脱走していることに飼い主が気付いて警察に通報した。
延岡市制施行90周年を記念した写真パネル展「懐かしい延岡の風景」が12日まで、同市本小路のカルチャープラザのべおかで開かれている。
会場には1957(昭和32)年に今山で行われた大師像建立の様子、小動物園やゴーカートがあった昭和30~40年代の城山公園、66(同41)年にプロ野球巨人の2軍が一度だけ行った延岡キャンプの様子など、48枚の写真パネルを展示。来場者の中には、当時を懐かしむ人の姿もあった。
9、10日は、同施設2階セミナー室で16ミリフィルム上映会「のべおか50年の歩み」が開催される。市政施行50周年時に制作された、市立図書館所蔵の貴重なフィルム。64(同39)年東京五輪聖火リレー点火式、79(同54)年に行われた宮崎国体柔道・水球の試合、80(同55)年の西階コブラ脱走事件などの映像を約25分にまとめた。
写真パネル展は午前9時からで、平日は午後7時まで、土・日曜・祝日は同5時まで。フィルム上映会は9、10日ともに午前10時30分と午後2時の1日2回上映。いずれも入場無料。
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やはり『日刊スポーツ』の記事。
1980年4月に宮崎県の「西階運動公園」で開催中の「世界動物祭」から、4匹、それからニシキヘビとが脱走した事件。ニシキヘビと、そして1匹はその日のうちに確保されたが、3匹のは結局見つかることがなかった。脱走から2か月後に、は死んだと判断されて、「西階運動公園」の使用が再開され、「対策本部」自体も同年11月に解散した。
一緒にも脱走したというけど、とのバトルの見世物でもやっていたのだろうか。1980年というと、沖縄でもハブとのショーをまだやっていたのでは?
このように、動物と一緒に全国をどさ回りしていた人がいたということは知っていたけれど、今でもやっているのだろうか?
市民も含めて大勢による血まなこの捜索は長丁場に及んだが、結局、コブラは発見できず、脱走から2カ月後、「生きている可能性は少ない」との専門家の見解などをもとに、公園内の野球場や陸上競技場などの使用が許可された。その後も対策本部は継続して警戒と捜索を続けていたが、コブラが日本の寒い冬を生きられないこと、抜け殻がないことなどを理由に、同年11月末に本部を解散した。
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同公園では移動動物園「世界動物祭」を開催中だった。駆けつけた署員が主催者に話を聞いたところ、コブラ2匹に加えてニシキヘビとマングースまで脱走していることが判明した。特にコブラは人を殺傷する猛毒を持っていることから大騒ぎになり、全国的なニュースになった。
第1話 復活! サイコガン
第2話 奇怪! ジゴバ
第3話 宿敵! クリスタルボーイ
第4話 脱走!! シド刑務所
第5話 謎! 強敵スナイパーは?
第6話 魔術師の正体!!
第7話 ジェーンの仇!
第8話 激闘! コブラ対ボーイ
第9話 出現!! 海賊スノウ・ゴリラ
第10話 イレズミの秘密
第11話 砂の惑星ザドス
4.スペースアドベンチャー コブラ 第4話 脱走!!シド刑務所
5/16(日) 15:29配信
1980年(昭55)4月21日の早朝だった。宮崎県延岡市の西階運動公園を散歩していた青年が、トイレ近くの木の下でカマ首をもたげ、今にも襲いかからんばかりのコブラを発見。すぐに地元の延岡署に通報した。
同公園では移動動物園「世界動物祭」を開催中だった。駆けつけた署員が主催者に話を聞いたところ、コブラ2匹に加えてニシキヘビとマングースまで脱走していることが判明した。特にコブラは人を殺傷する猛毒を持っていることから大騒ぎになり、全国的なニュースになった。
延岡市は同日午後に「コブラ対策本部」を設置。動物園の半径200メートルを立ち入り禁止にして、警察、消防、市職員らによる大捜索が始まった。
ニシキヘビやマングースはその日のうちに捕獲された。夕方になって「逃げたコブラは1匹だった」と訂正され、翌22日午前にその1匹も無事に捕獲された。不安が広がっていた市民に「一件落着」を告げる広報車が市内を巡回した。ところが、同日夕方、蛇小屋からさらに2匹のコブラが逃げ出していることが判明。その後、さらにもう1匹いなくなっていることが分かった。
翌23日に脱走コブラは「4匹だった」と警察から発表されると、そのずさんな管理に市民から批判が集中した。1匹は22日に捕獲済み。24日午後にさらに1匹を捕獲して、残り2匹となったが、これがなかなか見つからず、全国からは虫類の専門家が駆けつけて捕獲作戦が繰り広げられた。
市民も含めて大勢による血まなこの捜索は長丁場に及んだが、結局、コブラは発見できず、脱走から2カ月後、「生きている可能性は少ない」との専門家の見解などをもとに、公園内の野球場や陸上競技場などの使用が許可された。その後も対策本部は継続して警戒と捜索を続けていたが、コブラが日本の寒い冬を生きられないこと、抜け殻がないことなどを理由に、同年11月末に本部を解散した。
延岡市は翌年3月に主催者に捜索の人件費など総額1000万円あまりの損害賠償請求を起こして裁判で勝訴した。コブラは見つからず、長期にわたり延岡市民を不安に陥れたが、コブラにかまれる被害が出なかったのは不幸中の幸いだった。