流札となったシェルビー「427コブラ」(C)Courtesy of RM Sotheby's


コブラの生産はその後順調に進み、さまざまなバリエーションが誕生していく。最初のコブラMkIには260立方インチ(4.3L)ユニットが搭載され、残りの51台のMkIには289立方インチ(ウインザー・フォード・4.7L)が採用された。1962年の後半には横置きリーフスプリング・サスペンションとラック&ピニオン・サスペンションのセッティングを見直すために、フロントサスペンションの大幅な設計変更も行われ、それは新たにMkIIとネーミングされ1963年から販売が開始されている。


流札となったシェルビー「427コブラ」(C)Courtesy of RM Sotheby's

■堀口佐知
ガジェット初心者のWebライター兼イラストレーター(自称)。女性向けソーシャルゲームや男性声優関連の記事を多く執筆している。

1962年、コブラは英国AC社のボディにフォード製V8エンジンを搭載して誕生した。製作したのはロサンゼルスにあるシェルビー・アメリカン社。その代表は故キャロルシェルビー氏。1950年代、彼はアメリカ国内レースで活躍すると、その実力がアストンマーチン社に見初められ、1959年ル・マンに参戦し優勝に輝いた。翌年、持病の心臓病を理由に引退。今度は一転、レース経験を生かしたクルマ造りに費やすのである。

流札となったシェルビー「427コブラ」(C)Courtesy of RM Sotheby's

289立方インチのV型8気筒エンジンを搭載するコブラは、モータースポーツの世界でもシェルビー、そしてフォードの目論みどおり多くの勝利を収めることに成功した。1960年代のル・マン24時間レースでは宿敵ともいえるフェラーリを圧倒するライバルとして常に意識される存在となった。また、1963年から1965年までの3年間に連続でアメリカ・マニュファクチャラーズ・チャンピオンシップを獲得したことも、また偉大なるコブラのレース史である。

前置きが長くなったが、そんなACコブラに乗った。エンジンは427(7リッター)で、フェンダーもかなりグランドエフェクトされている。現代のコブラに関してはレプリカやリプロダクションが蔓延していて、どれもACコブラと呼ばれることが多い。詳しいことはわからないが、シェルビー自身がその後新たな素材でつくり上げ、サインしている車両もあるとかいうくらいだ。

まぁ、その辺の難しい話はともかく、アルミ製ボディをまとったコブラが目の前に現れた。その姿はまさに「コブラ!」といった印象で、筋肉ムキムキのマッチョさをアピールする。う〜ん、この辺の仕上がりはシェルビーらしいとでもいうべきなのだろうか。

この車両は、キャロルシェルビーとともにオリジナルコブラを製作していた人物・マイク マクラスキーが製作したもの。本物のオリジナル・コブラと同じ鋼管フレームを使い、戦闘機も手がけるようなマイスターの手によって一台一台仕上げられた。忠実に再現されたフレームに被せられたボディも、オリジナルと同素材のアルミニウム製だ。

エンジンはフォード製水冷式V型90度8気筒OHVを搭載し、435馬力ものパワーを発生させる。なお、忠実に再現されたグラマラスなボディラインはもちろんのこと、メーターや各スイッチ類などのレイアウトやシフトレバーの角度、エンジンルーム内の電装パーツの配列、さらにはビス1本1本のサイズや向きにまでこだわり、とことんオリジナルに則って再現されている逸品である。

早速、試乗させてもらう。サイドマフラーをふくらはぎに当たらないようにコブラに乗り込むと、そこには包まれるようなキャビンが待ち受けている。広いわけではないが、タイト過ぎないスペースは思いのほか居心地がいい。
そして、エンジンに火を入れると、バババーンと点火し、ドッドッド…とアイドリングをはじめる。なるほど、これがあのアメリカンV8か。このサウンドが多くのカーガイを魅了したのか。カラダに伝わる振動とともに一発でコイツの魅力に取り憑かれてしまう。
安楽な現代車とはまったく異なる乗り物に、心奪われるのは当たり前のことかもしれない。それほど異質なものだ。

現代車とはまるで違う感覚。細身のステアリングを握って、細身のシフトノブを動かして、爆音を奏でるエンジンを自らが操って公道を走る。そこにはアメリカンV8の魅惑的なサウンド以外、何もない。
試乗の印象としてはこれはこれで、十分公道を走れる範囲にあるということだ。細かいことは気にせず、街中をこ一時間ドライブしてまだガレージに帰る。それだけでも十分堪能できるし気持ち良いし、何より最高の気分転換になる。こんな贅沢もありではないか?

早々に試乗は切り上げたが、しばらくはあのサウンドが耳から離れない。ドッドッド…という重低音。あれこそ、ホンモノのアメリカンV8だろう。一点の濁りもない純粋なエンジンサウンド。残念ながら現代車においては、あのサウンド、振動は決して味わえないだろうな…。

流札となったシェルビー「427コブラ」(C)Courtesy of RM Sotheby's

シェルビー コブラに続いて2位となったのが、1930年のデューセンバーグ モデルSJ ロールストン コンバーティブル ビクトリアで、297万ドル(約3億2,600万円)で落札された。これは名曲「ラプソディ・イン・ブルー」の作曲を依頼したポール・ホワイトマンが新車で購入したものだ。

ACコブラはアングロアメリカン・スポーツカーと呼ばれる。英国ACカーズの「エース」というスポーツカーをベースに、米国のレーシングドライバーのキャロル・シェルビーが力を貸し、よりパワフルなクルマに仕立てたからだ。

流札となったシェルビー「427コブラ」(C)Courtesy of RM Sotheby's

全車の中でトップセールスとなったのは、1969年製のシェルビー コブラ427 S/Cで、330万ドル(約3億6,200万円)の値がついた。わずか29台しかないオリジナルS/C(セミコンペティション)の1つで、走行距離は10,000マイル(約16,000km)ほどだという。

内装はバーガンディ色のカスタムレザーシートを採用し、ビレットのダッシュパネルは特注品である。メーターや各スイッチ類などのレイアウト、4MTのシフトレバーの角度も忠実に再現され、現代車では決して見られないノンエアバッグの細身ウッドステアリングがクラシックカーを物語る。ちなみに、ステアリングはノンパワステである。

この車輌には、オプションとしてオイルクーラーやポリッシュされたサイドマフラー等が追加されている。正式な価格は不明だが、フェラーリの新車が買えてしまうくらいというから、おおよその予測はできるはずである。

しかも、故キャロルシェルビーが存命中にオーダーされた最後の車輌ということで、ボディに直筆のサインが記されている。これだけでも価値が数倍跳ね上がると言われているのである。

シェルビーコブラ427をちょっと動かしてみて、それをひと言で表せば「非日常そのもの」。まず、乗り降りからして大変(笑)。サイドマフラーが邪魔で乗降時に最初の試練がやってくる(走行後のサイドマフラーに触れたら確実に火傷する笑)。で、そもそものコクピットが狭い。これ、大柄なアメリカンが乗れるのだろうかと心配するほど狭い。逆に我々日本人にはタイトな感じでいいかもしれないが。

だが、次なる難儀がやってくる。まぁクラッチの重いこと。ストロークも長いから(やはり足の長いアメリカン向きか)、「これで渋滞ハマったら地獄だな、坂道発信できるかな」というくらいに重い。MTシフトも若干のコツがいる。4段なのがせめてもの救いか。

で、準備が出来たらエンジン始動。さすが新車だけあって、キーを捻るだけでエンジンは簡単にかかる。だが、轟音と振動たるや…、周りが一瞬で騒然となる。鬼のように重い踏力のクラッチを踏んでギアを1速に入れてスタートさせると、今度はハンドルの重さにビックリ。(予想通り?)ステアリングにパワーアシストが付いてない。


流札となったシェルビー「427コブラ」(C)Courtesy of RM Sotheby's

そんな中、キャロルシェルビー率いるシェルビーアメリカン社は、ファクトリー&ショールームをテキサスからネバダラスベガスに移し、1997年からオリジナルコブラとして「continuation」モデル(継続生産モデル)の製造を開始している。つまり、レプリカではなくシェルビーアメリカン社が作る「本物」である。

で、1997年以降の本物のコブラは、日本国内には数台しか入っていないのが現状であるから、取材車輌は激レアの1台となる。

鋼管フレームで製作したフレームにアルミ製のボディを搭載し、エンジンは往年の427(7リッター)かと思えばラウシュ製511SR(8.4リッター)をチョイス。最高出力540hp、最大トルク600lb-ftを発生させるこのエンジンと車重、ボディの大きさから考えても、例え相手がバイパーでもその刺激度には敵うまい。

本来なら427エンジンを搭載するのだが、フルオーダー可能ということであえてラウシュ製をチョイスしたのである。ちなみにラウシュとはフォード車のハイパフォーマンスパーツを製造しているメーカーである。

正式名は、1965年型シェルビーコブラ427 S/C CSX4000。現代のコブラで最高に優れている点が、エンジンから内装、カラー等に至るまでフルオーダーが可能であるということ。この1965年車はそのフルオーダーの1台であり、外装はブラッシュド・アルミに仕上げ、ポリッシュド・ルマンレーシング・ストライプを加えている。

流札となったシェルビー「427コブラ」(C)Courtesy of RM Sotheby's

それまでブリストル製の直列6気筒エンジンを使用し、スチール・チューブ・フレームとアルミニウム製のボディパネルからなる独自のモデルを生産していたイギリスのAC社だったが、1961年にブリストルはそのエンジン生産の中止を決定。その報に触れた元レーシング・ドライバーで、その後はシェルビー・アメリカンを設立し、レーシングカー・デザイナーとして活躍していたキャロル・シェルビーは、アメリカ製のV型8気筒エンジンを搭載できる車の設計をAC社に依頼。その一方でシボレーやフォードにエンジン供給の交渉を持ちかけた。

流札となったシェルビー「427コブラ」(C)Courtesy of RM Sotheby's

シボレー「コルベット」と同様に、アメリカで熱狂的なファンを持つスポーツカーといえば、それはAC「コブラ」、あるいはAC「シェルビーコブラ」とも呼ばれる、その名前のとおり獰猛な走りを見せる2シーターカーがイメージされる。

流札となったシェルビー「427コブラ」(C)Courtesy of RM Sotheby's

2024年1月25〜26日、RMサザビーズがアメリカ・アリゾナで開催したオークションにおいてシェルビー「427コブラ」が出品されました。同車について振り返りながらお伝えします。

流札となったシェルビー「427コブラ」(C)Courtesy of RM Sotheby's

シェルビー・コブラ427は最終的に348台が生産されたに過ぎない。その中でフルコンペティションスペックが与えられていたのは1台のスーパークーペを含めてもわずかに21台(22台という記録もある)。さらに事実上のワークスチューンだったドライサンプエンジンを装着していた個体となると、写真のCSX3004も含めてわずか5台である。

流札となったシェルビー「427コブラ」(C)Courtesy of RM Sotheby's

フォードがキャロル・シェルビーの計画に本気で協力したことから、ACコブラのプロジェクトは調子よく進んだ。加えて、1964年にはレース仕様「シェルビー・デイトナ・コブラ・クーペ」も開発。このモデルは当時の耐久レースにおけるGTクラスで連戦優勝し、64年のルマン24時間レースでも総合4位に入賞したのだった。

流札となったシェルビー「427コブラ」(C)Courtesy of RM Sotheby's

今回紹介するアジアパシフィック(以下、AP)モデルもその1台。長年シェルビーの正規代理店として、コブラの日本への輸入販売を手がけ、このほど(編集部註:2011年当時)横浜にシェルビーアジアを設立した田邊正剛氏が、ビギナーにもコブラを楽しんでもらえるようにと日本市場向けにプロデュースしたモデルだ。

流札となったシェルビー「427コブラ」(C)Courtesy of RM Sotheby's

ただしこの年はデイトナクーペによる世界耐久選手権の他、新たにフォードとのジョイントプロジェクトとして始まったGT350RによるSCCAプロダクションへの参戦がスタートしたこともあり、シェルビー・コブラ427によるワークス参戦はあくまで限定的なものだった。

流札となったシェルビー「427コブラ」(C)Courtesy of RM Sotheby's

CSX3003はシェルビー・アメリカン・ワークスマシンとして1965年の春からSCCAモディファイド&スポーツレーシングへの参戦を開始した。アメリカ国内におけるシェルビー・コブラの主戦場だったSCCA Aプロダクションへの参戦は100台の量産規定をクリアしてからのことである。

流札となったシェルビー「427コブラ」(C)Courtesy of RM Sotheby's

ACカーズとのコラボレーションが終わったあとも、キャロル・シェルビーは「シェルビー・コブラ」として同車を作り続けた。アストンマーティンDBR1で1959年のルマン24時間レースでの優勝経験を持つ、すぐれたレーシングドライバーでもあるシェルビーの“ブランド力”もあり、いまも人気が高い。

流札となったシェルビー「427コブラ」(C)Courtesy of RM Sotheby's

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流札となったシェルビー「427コブラ」(C)Courtesy of RM Sotheby's

今年7月、パリから西へクルマで2時間走った街ル・マン市で、2年に一度開催されるル・マン クラシックが行われた。これは、1923年から1979年にかけてル・マン24時間耐久レースに出場したマシンを対象にしたクラシックカーイベントであり、24時間レースと同じ公道を含むブガッティサーキットをメインとしたサルテサーキットを会場として行われる。

出場車は当然年式ごとに分けられ、同年代のもの同士で競われる。戦前となる1923年〜1939年はひとくくり、というようにだ。
そのカテゴリーの中でひと際目を惹くカテゴリーがあった。1962年〜1965年にくくられたグリッド4である。この頃、もっとも活躍したのはフェラーリ。62年はフェラーリ330LMが、63年は250Pが、64年は275Pが、そして65年は275LMがそれぞれ優勝した。

そんなフェラーリと渡り合ったのがACコブラである。なので、このレースでは当時を彷彿とさせるかのような両車の死闘が繰り広げ、その姿はまるで当時にタイムスリップでもしたかのようであった。

もちろん、英国のスポーツカーメーカーACカーズはそれ以前もル・マンに出場していた。当時のマシンはACエース。それにブリストル製エンジンを積んだモデルが、50年代後半に戦っていたのだ。ル・マン クラシックの会場でその姿を何台か見たが、ACカーズらしいかなりスポーティな仕上がりをしている。

だが、目を奪われるのはやはりコブラの方だ。よりグラマラスになったボディはまんまレーシングマシンのようで、かなり戦闘的なイメージ。このクルマとからんだら相当ヤバいんじゃないかと思うほどだ。排気量は289(4.7リッター)ではあったのだが……。