美品 COBRA BREAK OUT ヨースコー コブラ ラフィンノーズ


(Oi!) パンク・ロック (Punk Rock)バンド。メンバーはYOSU-KO(Vo.)、LINA(Gt.)、、PON(Ba.)、KI-YAN(Dr.)。幾度のメンバーチェンジがあったが、過去にはGARLIC BOYSのLARRYやLAUGHIN' NOSEのNAOKIなども在籍していた。 oiパンクといえばCOBRA。青春時代にハマった方も多いのではないだろうか。そんなCOBRAのカバーはパンクの盟友THE RYDERSとのスプリットでお互いをカバーしていたり、トリビュート盤もリリースされている。こちらのトリビュート盤も若手から大御所パンクバンドまで総勢20バンドも参加しているのでCOBRAファンは必聴。そんななかおすすめしたいのはドイツのメロディックパンクバンドGigantorがカバーした「Life War」のカバー動画を載せているのでぜひ聴いてみてほしい。そしてこのアルバムにはラフィンノーズや、スターリンのカバーも収録されており日本のパンクファンをくすぐる内容になっている。 -
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COBRA 男の渋公 コブラ ラフィンノーズ SA スタークラブ Tシャツ oi

1984年
NAOKI(G)はCOBRA脱退後、CHARMYとPONに誘われLAUGHIN’NOSE(ラフィンノーズ)に加入
COBRAには現GARLIC BOYSのLARRY(G)加入


1981年、チャーミーを中心に結成。やがてポン加入後にバンドが加速し、「インディーズの騎手」として、後のバンドブームを牽引。途中、活動を停止していた時期もあったが、1995年より現在まで休むことなくライブ、リリースの活動をメンバーのみで運営し続けている。現メンバーはチャーミー(ボーカル)、ポン(ベース)、ベレー(ギター)、キーヤン(ドラム/from COBRA)。



1961年・宮城県気仙沼市出身。

1962年・大阪府八尾市出身。

LAUGHIN NOSE(ラフィン・ノーズ)は日本のパンク・ロックバンド。 LAUGHIN ..


1981年、チャーミーを中心に結成。やがてポン加入後にバンドが加速し、「インディーズの騎手」として、後のバンドブームを牽引。途中、活動を停止していた時期もあったが、1995年より現在まで休むことなくライブ、リリースの活動をメンバーのみで運営し続けている。現メンバーはチャーミー(ボーカル)、ポン(ベース)、ベレー(ギター)、キーヤン(ドラム/from COBRA)。



1961年・宮城県気仙沼市出身。

1962年・大阪府八尾市出身。

1980年代半ばにインディーズブームを牽引し、メジャー移籍後はどんどん大きくなるフィールドで、思うままに楽しんでいるかのように見えたチャーミーだが、自分たちバンドメンバー以外の思惑がいろいろ入ってくる状況に、混乱することも多かったようだ。
再び動きはじめたラフィンノーズは、ポンが主宰する新たなレーベル「Letsrock」をベースに、ライブのブッキングからチケットやグッズの販売、CDジャケットやグッズのデザイン、ライブをする地方への移動や機材の搬入搬出などまで、すべての活動をほぼメンバーのみでおこなうという、純・インディーズ体制を築いた。

それはまるで、チャーミーとポンが大阪で出会ったばかりの頃に戻り、それを心から慈しみ、楽しんでいるかのような動きだった。
音楽性だけではなく、そうしたバンド活動にまつわる諸事の扱いも含め、新生ラフィンノーズがパンクのDIY精神を貫こうとしていたことは明らかだ。

「ポンと初めて会ったのは、19か20のときだから、もう40年以上の長い付き合いになります。それだけ長く付き合うと良い面も嫌な面も目につくけど、俺とポンって同じ方を見て同じ道を進んではいても、言うなれば“背中合わせ”の2人なんですよ。『こっちは俺が守るぜ。だから俺の後ろは、ポン、おまえが守ってくれ』みたいな。なんかそんな感じ。あいつと出会ったのは運命だと思ってるし、普通に『兄弟だな』って思う。気づけばそうなってますね。昔はそんなこと恥ずかしくて言わなかったけど、今はもう、本当にそうなんだなと思うよ」

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僕がその存在を知って虜になった1985年頃のラフィンノーズは、チャーミー(ヴォーカル)、ナオキ(ギター)、ポン(ベース)、マル(ドラムス)という体制だった。
このうち、結成時からのオリジナルメンバーはチャーミーだけだが、結成まもない1982年から参加しているベースのポンは、チャーミーとともにラフィンノーズを形作ってきた主要メンバー。チャーミーにとってはかけがえのない大事な仲間で、無二の友人であることは、ファンの目から見ても明らかだ。

だから、1989年にナオキとともにポンが脱退したときは、「ああ、これでラフィンは終わりか」と思った。その後チャーミーは新メンバーを迎えてラフィンノーズを継続させたが、1990年にはメンバーの1人が暴行事件で逮捕され、マルも脱退。
1991年にはついに解散してしまう。

ポンはラフィンノーズ脱退後、ナオキとともに関西パンクシーン出身のOi!パンクバンドCOBRAに加わり、メジャー展開して人気が高まっていた同バンドのメンバーとして、武道館のステージに立つ。
COBRAは1992年に解散したが、その後もポンは、COBRAのボーカリストYOSU-KOとともにCOW COWというハウスユニットを組むなど、充実したミュージシャンライフを送っていた。

一方のチャーミーはラフィン解散後すぐにソロアルバムをリリースしたが、音楽活動は以前より目立たなくなり、このまま表舞台から去ってしまうかのように見えた。
だが1995年、チャーミーとポンは再び意気投合し、ラフィンノーズの再始動を決意する。かつてのインタビューでチャーミーは、ラフィンノーズ再結成にあたり、「何をやってもいいんだけど、絶対にパンクロックでありたい」という意識を強く持ったと語っている。

元「smart」編集長・佐藤誠二朗によるカルチャー・ノンフィクション連載「Don't trust under 50」。ラフィンノーズのヴォーカル、チャーミーの物語。前回は、62歳を過ぎても年齢を全く感じさせない熱いライブで全国を回り続ける、現在の生活についてお伝えした。今回は、チャーミーを語るために欠かすことのできない存在である2人の大切な男について(全4回の2回目)。

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そうそう。ライブにスコープを当てながら毎日を過ごしてる。もともとラフィンノーズってそうだったような気もするけどさ、最近は特にそう思ってる。だから、今回のアルバム「G.P.R」にしても「良い作品が出来た」っていう喜びはあるんだけど、それだけでは絶対に満足出来ないのね。アルバムはピストルのようなもので、「すごい飛ぶ玉とピストルが出来ました。これからそれをブッ放しに行きますよ」と。どんなに良いピストルを作っても、ブッ放さなくちゃ意味ないじゃん。だから、俺らがそのアルバムを持ってライブに行くことで、初めて「仕事」が始まるわけ。「仕事」って言うと誤解を招くかもしれないけど。
いや、「仕事」やね。要はお客さんを燃えさすのが俺らの「仕事」やから。お家の中で聴いてもらうだけの作品やったら、それは俺らの「仕事」ちゃうもんな。


COBRA(コブラ)のカバー曲。COBRAがカバーしている、COBRA ..


自分にとってNAOKIといえば、ラフィン・ノーズでも、COBRAでも、SAでもなく、パンクの本流からちょっと外れたこのDOG FIGHT!でギターを弾く姿がまず一番に頭に浮かぶ。


少し話は脱線するが、自分と同年代でパンクロックに心を撃たれて…なんて方の多くは、リアルタイムで体験したピストルズに衝撃を受けて…とか、クラッシュの白い暴動やダムドのニュー・ローズにやられて・・・なんていうところがパンクの初期体験なのでは?と、勝手に想像するところであるが、パンクの嵐が吹き荒れた頃、ベイ・シティ・ローラーズにどっぷりはまっていた自分は全くもってそんな体験がない。
なんたってジョニー・ロットンの「ローラーズなんか糞くらえ」みたいな発言を当時愛読していたロック雑誌で目にしたのだから敬遠するのが当たり前だろう。

初めてリアルタイムで買ったパンク・ロックのレコードはトム・ロビンソン・バンドのパワー・イン・ザ・ダークネス。これもパンクのカテゴリーで語られていたバンドとは知らず、ラジオで聴いた2・4・6・8モーターウェイのメロディが頭から離れなかったからで、この後続けざまにパンク・ロックに傾倒していくこともなかったのだから。

AA RECORDSからCOBRAの初音源となる1stEP「BREAK OUT」リリース。 1984年

DOG FIGHT!はラフィン・ノーズ~コブラ~SAと日本のメジャーなパンクバンドで活躍し続けているギタリストのNAOKIがCOBRA活動停止後に弟のTAISHOと結成したバンドだ。

古い物です表紙のヤケはありますがダメージはさほどありません 種類···フルスコア 楽器・演奏スタイル···バンド

ポン(ラフィンノーズ)とヨースコー(コブラ)によって1992年から1994年まで活動したテクノハウスパンクユニット、COW COW。そのサウンドはシーケンスの限界とアナログの暴力性を兼ね備えた過激なテクノハウスパンク。その一方、時代の移り変わりに反逆するかのような昭和の雰囲気をも漂わせるという幅広いダイナミックレンジによって、ポンとヨースコーならではの名曲の数々を残した。余談だが、「あたりまえ体操」などで知られる人気お笑いコンビ・COWCOWのコンビ名はこのユニットに由来したことでも知られる。

1994年の解散から20年。そして、数年間、音楽活動を休止していたヨースコーの復帰に合わせて全音源を復刻。計3枚のCDにまとめた。